色覚って言葉は聞いたことがあるでしょうか。
人は、ものに色がついて見えていますよね。
その見え方にもいろいろあるってことについて、考えて行きたいと思います。
随分前のことです。
3歳児を保育していた時、ちょうど5月の「母の日」を前に、お母さんの絵を子どもたちに描いてもらったことがありました。
クレパスで丸を描いて描き進めていくうちに、ある子どもが、黄緑色のクレパスを持って顔全体を塗りつぶしていく様子が私の目に入ってきました。
私も他の子どもも、顔は肌色と書かれたクレパスで塗るもの・・そう決め込んでいたので、一瞬「えっ?」と思いました。
でも、その黄緑色のクレパスを持った子は、全くぶれることなく、しっかりと顔の隅々までその色を塗り込み、「お母さんの顔」を仕上げました。
こんな色があってもいいんだと、言い聞かせるように、他の子どもの描いた絵と一緒に、後ろのボードに貼りました。
描いた子どもは、誇らしげに「ママはね・・」と大好きな優しいママのことを話してくれました。
周りの子どもたちも、特に何も言わずにみんなで出来上がってボードに並んだ「みんなのお母さん」の絵を誇らしげに見ながらそれぞれに話すのでした。
私は、そこでこのことをそのままにしておくことができず、いろいろ調べることにしました。
実はごく身近に、色の見え方に特徴がある人を友人に持っていた私は、その友人にも聞いてみることにしました。
その友人は、幼い頃、幼稚園のスモック(作業用の服)に「しみ」がついているのがとても気になり、お母さんに洗ってもらいました。
いつもと同じように洗濯してもらって綺麗に畳まれたそのスモックを見て、「どうしてちゃんと洗ってくれないの?」と思ったそうです。
そして、その友人は、お風呂場で石鹸をつけてその「しみ」をゴシゴシと揉み洗いしたと話してくれました。
一生懸命洗ったにも関わらず、すすいで干してみても、その「しみ」はきれいにはならなかったのだそうです。
その「しみ」について、お母さんに、「これ、もっときれいにならないかな?」と尋ねたところ、「これで、何も気にならないくらいきれいだけど?」という返事が返ってきたそうです。
友人は、自分にははっきりとくっきりした色の「しみ」がついているのに、どうしてお母さんには見えないのか?
とても疑問だったそうです。
その時、友人はまだ幼く、自分がお母さんと「色の見え方」が違うことについて、よく理解できていなかったのです
そして、お母さんも我が子が自分と「色の見え方」が違うことに気づいていなかったということです。
その友人は、広いグラウンドで、落とした小さなものをみんなで探している時、一発で見つけることができたそうです。
みんなが見えにくいものをすぐに見つけられることで、ちょっと嬉しかったと、その時の気持ちを語ってくれました。
それは特別な力だなと、聞いていて私も同じように嬉しくなりました。
ある夏の日、花火が大好きな私は、近くで開催される「花火大会」に行こうと友人を誘いました。
友人は楽しみでワクワクする私とは少し違って、無理に付き合ってくれる感じがなんとなくわかりました。
私は、花火が打ち上がった後、夜空に大きく開きながら、赤や青、緑やピンクの花になったかと思うと、だんだんと色が変わっていく様子も、炎の色で枝垂れ柳のようになっていく様子も、全てが感動で花火が上がり続けている間、ずっと心臓がドキドキして楽しい時間だと感じていました。
そして、それは友人も同じなんだと信じていました。
花火が終わって帰り道。感想を尋ねてみると、「枝垂れ柳のような花火がきれいだった。」と話してくれました。
「あの赤の花火の端っこだけが緑だったのとか、蝶の形の色の違いがきれいだったよね。」と私が興奮気味に話すと、「そんなふうに変わるんだ。知らなかった。」と言ったのです。
そこで、私にとっての当たり前が、友人にとっては違ったんだと気づきました。
だから、花火大会に行こうと誘った時に、それほど乗り気ではないと私が感じたんだ・・と思いました。
花を見ても、同じかもしれない、そういえば、それまでにも、ちょっと不思議に感じることはあったな・・と思い出すことがいくつかありました。
私が使っていた赤ちゃんの抱っこひもの色がローズピンクだったのですが、「そのピンクの抱っこ紐取ってもらえる?」と頼んだ時、「ん?これ?これ、ピンクだったんだ。」と同じ色に見えていなかったようでした。
「座布団カバーのこの色と同じだよ。」と伝えると、「それも灰色と思っていた。」と。
驚いた私は、「これは何色に見える?」「これは?」と近くにあったものを、確認していきました。
すると一定の見え方の法則を発見しました。
私がピンクに見えていたものは、友人には灰色、私がオレンジに見えていたものは、友人にはくすんだ緑色・・
そこで、私はいろいろ調べて色覚に詳しい眼科医を友人に紹介し、受診してもらいました。
そこで、はっきりと自分の見え方の特徴を知った友人は、それ以降、そのことを認識して過ごすことで、以前よりは自分の見え方の特徴を理解した上で判断したり行動できるようになったと、のちに話してくれました。
友人は、それまでに、いろんな苦労もあったようです。
自分の見え方が人と違うことを知ってから、信号も「ここは赤ここは緑色」と色ではなく場所で覚えて確認していたそうです。
だから、遠くからあの赤い信号と言われると確認するのが大変だったそうです。
特に電光色は、どれも同じ色に見えるので、判別することが難しかったとのことでした。
それをもっと早いうちに周りが知っていれば、もっと生きやすかっただろうに・・と感じました。
特徴のある「見え方」をマイナスに捉えることなく、生きていくことができれば、そんな社会になればいいなと思います。
現在の社会では、多数色覚の造ったものが多く、戸惑う場面が多くあるかもしれないけれど、その違いを知っているだけでも、かなり違うのではないかと思うのです。
色に限らず、多様性を認める社会であれば、「みんなと違う」ことを「マイナス」と捉えなくて済むのではないでしょうか。
友人のことに気づいてからの私は、保育の場面で、見え方の違う子どもがクラウにいるかもしれないということをいつも意識していました。
何かを指示するときも、「テーブルの上の左から3番目の、A色で、Bのような形をしているものを持ってきてちょうだい。」というふうに、色のみの指示ではなく、場所や、形を付け加えることで、色の見え方が私とは違っていても見つけやすいようにしていました。
学校の黒板につかうチョークの色も、意識すればどんな子どもにも見えやすく判別しやすいものが選べると思います。
そんなふうにしているとできる工夫があり、そうすることで、「見え方が違う」子どもにも、混乱や困難さが少なくなると考えます。
そして子どもの頃から、そういうことに触れていると、自然にわかったり受け入れられたりするという意味で、おすすめの本を紹介したいと思います。
アメリカの家庭で未就学の子供に読み聞かせをして、、この本が子どものお気に入りになったというレビューもたくさんあります。
『ERIK the RED sees GREEN』
原作 Julie Anderson David Lopez
翻訳 ごとうあさほ
色と色の感じ方の違いとは 尾家 宏昭
少数色覚の子どもは、あなたの周りにもいるかもしれません。
保育・子育てをする大人がこのことを知って、適切な対応をすることで、嫌な思いをしたり、苦労したりすることが減ると思います。
「ちがい」をマイナスに捉えることなく、自尊感情を自己否定感に変えることのない関わりが大切になります。
就労する時に、自身に適した無理なくできる仕事を選ぶことも、必要になるという点からも、早い段階で周りの大人が気づき、子ども自身も知っていくこと、どのような理解をしていくかによって人生が変わります。
どんなタイプの子どもも、夢を持って生きていくことができる未来が待っている・・
そんな希望を持って、誰もが生きていきたいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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それでは、また次回お会いしましょう。