『母さんがどんなに僕を嫌いでも』 自分の気持ちを解放しよう!

 

 

母さんがどんなに僕を嫌いでも

 

人気ブロガーで漫画家、小説家としても活躍する歌川たいじ氏のコミックエッセイ『母さんがどんなに僕を嫌いでも』(KADOKAWA刊)が実写映画化されて、今月16日に劇場公開される。

太賀(たいが)が演じる息子が吉田羊(よしだよう)が演じる母親の愛を勝ち取るまでの壮絶な日々が描かれた映画。虐待が与える影響について考える機会になればと願う。また、主人公と同じような思いを持つ方には、心を解放して、自由になってほしいと願う。

 

 

原作者のコメント

大勢で制作する映画と違って、本を作るときは基本的にひとりで粛々と作るのですが、「母さんがどんなに僕を嫌いでも」を描いていた間は「こんな自分の過去なんか描いて、誰かの役に立つのだろうか」と、ずっと考えながら原稿用紙に向かっていました。ところが、いざ出版してみると、各方面から大きな反響をいただきまして、テレビや新聞、雑誌やネットなどで数多く取り上げていただき、ただただ驚くばかりだったのです。それから間もなく、本作のプロデューサーが「ぜひ映画化したい」と、無名な私の本を手にあちこち駆けずり回ってくださいました。「どれどれ」と読んでくださった方々が次々と手を差しのべてくださって、御法川監督をはじめスタッフ・キャストが集結し、いよいよ制作がはじまるまでの一部始終を見せていただきました。私は映画制作のことはなにも知りませんが、こんなふうに熱意と人情によって作られる映画もあるのだなあと、胸が熱くなったのでした。
 「痛みの多かった少年時代に重きを置くのではなく、人とのふれあいによって主人公が変わっていく過程をていねいに描いた温かい映画にしよう」プロデューサーも監督も脚本家も口を揃えてそう仰って、もちろん私も心から賛成しました。そして、スタッフ・キャストの方々全員が同じ認識のもと、一丸となるという表現がぴったりの体制で、私が自分の半生を通して世の中に伝えたかったことを表現してくださいました。そんな現場を目の当たりにして、「ここにいる人たちは本当に実在する人間なのだろうか、どこかに羽を隠した天使なんじゃないのだろうか」などと思ったのを鮮烈におぼえています。
 「主人公タイジ役を太賀でどうだろうか」という話が出たとき、思わず身を乗り出して叫んでしまいました。太賀さんが10代だった頃から出演作品を観ておりました私は、ひとりの表現者として、彼の演技力を非常にリスペクトしていたからです。「画面を通して見る太賀の顔は、圧倒的な情報量を持つ顔だ。さまざまな香りのスパイスが調和する絶品カレーのような芝居だ」と、常々絶賛してきた役者さんなのです。
 念願叶って彼が主役に決まり、母役を吉田羊さん、婆ちゃん役を木野花さんが演じてくださると聞いて、「もう原作者として、なんにも心配することはないんじゃないか」と思えました。他の役についても、これ以上望むものはなにもないと思うほどの役者さんが参加してくださって、これっぽっちも不満はありませんでした。編集を終えた本作をはじめて拝見したとき、あまりにも自分のことすぎて、この映画がおもしろいのか、つまらないのか、正直、わかりませんでした。感想なんて抱けないほど、自分のことすぎたのです(実は、原作を書き上げたときも同じような思いでした)。試写を見終わってわかったのは、「ここに描かれているのは間違いなく自分の過去だけれど、もう、自分だけのものではなくなったのだな」ということだけです。
 この話には、闇を抱えていた私を変えてくれた恩人や親友たちが登場します。不真面目な私が、死んでも裏切れない人たちです。彼らが私に与えてくれた、変わる勇気、変えていく意志。かけがえのないものが、この中にあふれています。そんな自分の過去が、大勢の人の力で翼を広げ、いよいよ映画になって自分のもとから飛び立ったのだと試写を拝見して感じました。
 「飛び立ったのならば、できるだけ遠くまで飛んでいってほしい。そして、届くべきところにちゃんと届いてほしい」そんな気持ちで、いまはいっぱいです。この映画にちりばめられた、私が自分の闇と戦う中で手にしてきた宝物。それらが、世の中の痛みのある心にどうか届きますようにと、それだけをいま、願っています。   

                    (『母さんがどんなに僕を嫌いでも』公式サイトより)

 

20年以上も母の愛をあきらめなかった息子の実話であるこの映画は、原作者の壮絶な生い立ちが描かれています。彼は自分の生い立ちを文章にすることで、誰に何を伝えたかったのだろう。

彼は自分の母親に対する求めてやまない愛を何かの形にしたかったのではないでしょうか。

児童虐待は今も昔も、人目にさらされることは少なく、けれどもひそかに、そして確実に存在している。

ただ、児童虐待を繰り返す親であるその母や父も、実は虐待の被害者であることは多く、これが『虐待の連鎖』である。

 

虐待のわけ

 

『母さんがどんなに僕のことを嫌いでも』のあらすじ

 情緒不安定な母親光子の姿から、離婚問題が浮上した時に子どものいることを不利だと判断した結果、息子である9歳のタイジを児童保護施設に預ける。

 一年後に好条件で離婚が成立し、タイジとその姉。貴子を連れて出ていくが、そこでも不安定な生活を送る。

 17歳になったタイジは、ある日光子から酷い言葉と暴力を受ける。それをきっかけに家を出て一人で生きていく決意をする。

 ただ、日々を生きているだけのタイジだったが、幼い頃に唯一自分の味方をしてくれた工場の婆ちゃんと再会し、自分を今も思ってくれる強く優しい思いに心を動かされる。

 努力を重ね、一流企業の営業職に就いたタイジは社会人劇団にも入り、金持ちで華やかだが毒舌家のキミツと出会う。容赦なくモノを言うキミツに戸惑いながらも、次第に心を開いていくタイジ。会社の同僚・カナやその恋人の大将とも次第に打ち解けていく。大人になって初めて、人と心を通わせる幸せを感じたタイジは、友人たちの言葉から、自分が今も母を好きでいることに気づき、再び母と向き合う決意をする。

 長らく絶縁状態だった光子から連絡を受けたタイジは、光子の再婚相手の葬儀に参列するも、冷たくあしらわれる。しかし、自分から変わることを決めたタイジは、食事をつくりに家へ通うなど母に寄り添い、もっと母のことを知ろうと叔母のもとを訪ねる。そこで聞かされたのは、母の幼い頃の苦労。少しずつ距離を縮めていくタイジだったが、光子が亡き夫の残した莫大な借金を背負っていることを知る。借金を巡って口論になった光子とタイジ。光子はまたもタイジを拒絶する。しかし、そんな光子を見てタイジがとった行動は・・・。

                      (『母さんがどんなに僕を嫌いでも』公式サイトより)

 

 

虐待の連鎖を断つ

 

虐待はそれを乗り越えるのに、大変な時間や作業が必要となる。

虐待をされた側には、虐待をした側の思いは届かない。

人は、生まれてから身近な人を信頼し、愛されることを通して、人を信じることを覚えていく。

愛されることを通して、自信を持ち、生きていくことができるようになる。

 

虐待はその信頼関係を断つ、残酷な行為である。

愛されたいと願う弱者である子どもは、求める相手を失い、心を閉ざしてしまうことになる。

やがて、心を閉ざしたまま成長した大人は、また次に同じような表現方法でしか自分を表現することができず、

結果として、虐待の再生産の当事者と化してしまう。

 

どこかで、タイジの様に虐待の連鎖を断つ行動が必要になる。

それは、タイジの様に親のために尽くす方法もあれば、自分がいやだったということを相手に伝えるという方法もある。

そうすることで、再生産はなくなる。

 

悲しいことは繰り返さないで。

そう願うことしかできないけれど・・・